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山口正子市議の救援ボランティア

野菜を作りたいー菜園の瓦礫が・・・

2011年5月いわき市ボランティア参加 山口正子

 連休は久しぶりに山へ行こうと考えていましたが、赤旗新聞にボランティア募集が載って今回のボランティアは今しかできない、選挙活動中不十分だった救援・復興に少しでも参加しようと切り替えました。幸い日本共産党と日本民主青年同盟共催の青年ボランティアに登録できました。岩手県内の予定がすでに一杯でいわき市へ変更となり、5月2日の夕方松戸を出て5日までの3日間、津波被害の瓦礫撤去の作業をしました。

青年と福島県いわき市に

 1日目は地元の依頼を受けて、神社の参道や道路わきの瓦礫の片付けは、燃えない金属やガラス・陶器と燃える布や木製に分けて、道具はスコップと籠のみなのに人の手でどんどん片付けられていくのに驚きました。埼玉県入間市から車で来た父親と中3・小3の娘さんも合流。みんな慣れない力仕事に精を出し汗をかき、参道が以前の姿に戻りきれいになった所へ、震災前地元に住んでいた方が来て「家がびっしり建っていたのにすっかり風景が変わってビックリ。私の家は住めるんだけどライフラインがまだなので娘の所にいます。綺麗にしてもらって有り難うございます」とお礼。
 参道のすぐ横の信用組合は、震災で男性職員2人が亡くなったとのこと、1階が津波で伽藍堂になり瓦礫に書類などが散乱。5~6棟ある2階建て市営住宅も、1階はひどい状態で住人の姿は無し。浜辺は防波堤が壊れ、塩屋の岬の白い灯台が見えました。この日は35人参加。私は疲れて夕食後6時過ぎから朝5時まで寝ました。

befor-after

 2日目の朝は雨も止み、民家の庭と野菜を作りたいという菜園の瓦礫を2手に分かれて片付けました。今にも野菜が植えられそうな畑に戻りましたが、津波で運ばれてきた2台の車が畑に残されました。この家の人は「今日は本当に有り難うございました。復興したら遊びに来てください」と、復興への意気込み充分。3人が釘踏みなどの怪我あり、病院で破傷風予防の治療を受けて悪化なし。紙マスクを2枚重ねてもドブと魚の腐った臭いが強く、移り香が気になりました。この日は45人参加。
 夜の交流会は、豊間の津波を潜り抜けたお酒を飲みながら、新潟大学法科 女学生や看護学生は、「人力では無理だろうと思っていた瓦礫の山が、皆でやったら綺麗になって人の力ってすごいと思った。」青年男性は「見渡す限り瓦礫の山が衝撃だった。中から食器とか布団や服も出てきて、生活していた人のことを想像した。」また、「ビフォー・アフターの違いが嬉しい。マンパワーはすごい!」
 地元の方は「福島県民として福島に来てくれたこと自体がすごく嬉しかった。放射能のことで福島を通り過ぎて岩手・宮城に行く人もいる。みんなが来てくれたことで私も復興頑張ろうと思った。」旅行中ツイッターを見て参加した青年、茨城から帰省途中日帰りで参加した女性、静岡県富士宮市議も市の防災に役立てたいと参加されていました。

 3日目、午前中は昨日の民家の残りの瓦礫や側溝整備を、午後は海岸近くの水産加工会社が再建復興の希望あり、瓦礫の山から壊れた大きな機械をロープで引いて、男の人たちが人力で掛け声とともに移動させ感激しました。作業依頼主の副区長さんは「自分の家は津波で流され今も避難所で暮らしている」と言われ、何度も何度も頭を下げてお礼を言われました。今回は作業の後はお風呂に入り、地元の方が準備してくださった食事が食べられ、夜は事務所の床にマットを敷いて寝袋で寝ました。

 地元の方のお世話になりながら地元の方をほんの少し支援できたのか。瓦礫の山がなくなって街が活気を取り戻すまで、これからも機会を見つけてまた行きたいと考えています。

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